有袋類とはコアラやカンガルーなど袋を持った動物のことです。
この袋は例えるならば「人工保育機」のようなものです。
有袋類の赤ちゃんは超未熟児で生まれてきます。
そのため自力で袋の中に入り、ある程度大きくなるまで
母親の袋の中で育てられます。
このような生態系は他の動物にはない、
有袋類独自の特徴といえます。
袋の中から赤ちゃんが顔をのぞかせている姿は本当に可愛らしいですよね。
ここでふと、「こういう有袋類はオーストラリアなどでしか
聞いたことはないけど、どうしてオーストラリアが多いのか?」
と、疑問に感じたことがありませんか。
厳密に言うと、オーストラリア・ニュージーランド・南米の一部に
生息をしていますが、ほとんどが南半球に集中していることがわかります。
大きな理由としては、天敵が少ないからなのですが、
この有袋類動物がオーストラリアなどで暮らしているのは、
地球の歴史と深いかかわりがあります。
この記事では、有袋類動物がどういった流れで
オーストラリアに住み着いたのか。
ということが、わかるようになっています。
では、最初に有袋類動物が大昔に
どのような環境にあったのかについて
迫って見たいと思います。
有袋類動物は他の生物と比べてかなり弱い立場にあった?
有袋類動物は中生代の時代、
つまりティラノサウルスやステゴサウルスなどの
恐竜の時代からすでに生息していたと考えられています。
この時代はまだまだ恐竜が勢いを保っていたため、
有袋類動物は細々と息を殺しながらつつましく生きていた時代でした。
それはどうしてなのか。
カンガルーの体長はおよそ1.5m。
それに対してこの時期の恐竜というのは
2~35mほどの大きさでした。
自分の体長の数倍以上ある生物が
あちこち走り回っていたという状況です。
少し想像してみて下さい。
もし現在もなお恐竜が生きていたらどうでしょう?
とてもではありませんが、巨大すぎて『捕獲駆除しよう』
なんて考えるほどの余裕は多分ありませんよね。
それと同じようにいくら草食恐竜であっても、
サイズが違いすぎるために抵抗しようとしても
かなり無理があったと考えられます。
そんな1億何千万年と長く続いた恐竜達も
白亜紀(およそ6600万年前)、
ついに絶滅の時を迎えます。
しかしながら、有袋類動物だけは生き続けることが出来たのです。
有袋類動物はどう生き残ったのか?
白亜紀の時代の大陸というのは、実は陸が繋がっていました。
恐竜が絶滅しても、有袋類動物はまだまだ弱い立場のままでした。
彼らは何とか生き延びようと必死に逃げ続けました。
そして逃げた先というのが
現在のオーストラリアやニュージーランドにあたる
南の地だったのです。
その後、地殻変動などの現象でゆっくり時間をかけて
大陸に裂け目ができ、やがてそれぞれ大陸が独立します。
そして他の動物は南の大陸には入ってこなくなり、
有袋類動物だけが
平穏に暮らしていけるようになったというわけなのです。
オーストラリアなど南半球にしか生息していない理由には
私達の想像以上に厳しい環境の中で、
「なんとしても生き延びたい」
こんな気持ちが現れた結果と言えるでしょう。
まとめ
今回は「有袋類動物がなぜオーストラリアに多いのか」
について触れてきました。
○中生代時代、有袋類は弱い立場だった○
⇒この時代は恐竜たちの独壇場。
⇒身体のサイズも違えば、行動パターンも違う。
太刀打ちすることは困難だったため、ひっそりと暮らしていた。
○生き延びるため、南の地へと逃げた○
⇒恐竜絶滅後、なおも厳しい立場にあった。
⇒それでも何とか生き続けるために逃げ続け、
現在のオーストラリア・ニュージーランドへたどり着く。
○陸続きだった大陸はやがて分裂○
⇒太古の昔、大陸は一続きだった
⇒その後地殻変動が起こり、大陸は散り散りバラバラに。
⇒有袋類動物たちが逃げた南の陸地も、やがて独立。
他の生物が寄り付かなくなり、有袋類動物が暮らせるようになった。
よく動物園などで、普段のんびり暮らしているコアラやカンガルー。
しかしながら、彼らの先祖は想像以上の壮絶な世界を
生き抜いたと言っても過言ではないことがお分かり頂けたと思います。
今世界を見ても、この有袋類動物と言うのは
本当に貴重な存在となっています。
というのも、オーストラリア政府はコアラを絶滅危惧種に
認定するよう動き出しているとのことです。
その原因は大規模な森林火災です。
山火事でコアラが大量に死滅したというニュースもあり
記憶に新しいのではないかと思います。
オーストラリア独自の生き物だからという理由ももちろんあるでしょうが、
彼らが大昔どのように生き延びて現在に至るか、という経緯を考えると
なおさら保護しようという運動が高まり出すのもうなずけます。
動物園で彼らを見かけた時、今までは「かわいい!」と
感じていたと思います。
しかしながら、このいきさつを知ってもう一度見た時は
見方が少し変わってくるのではないでしょうか?
きっと「かわいい」もあるでしょうが、それと同時に
「たくましさ」みたいなものがひしひしと
感じてくるのではないかと思います。